雪丹が哲学ノートを晒しますの巻

哲学ノートや内省の記や雑感などをさらしていこうと思います。西田幾多郎が好きです。

宇宙が宇宙の記憶を辿るとき

ある時宇宙は、終わりの時を迎えた。寿命が来たらしい。生まれ、育ち、働きまくり、老い、そして今、最期のときなのである。


宇宙は、その大いなる創まりから大いなる終わりの時まで、万物の生成化育を司り、とてもとても大きな仕事を成し遂げた。思い出せば言葉には到底尽くせぬ、色んなことがあった。そもそも言葉なるものも、この宇宙の中の一つの事象に過ぎないのだから。この大仕事の終局で、これまでの過程が無性に懐かしくなってきた。それもそのはず、そこには大宇宙の全体、空間と時間の全体、思い出の全体が詰まっているのだから。


そこで、宇宙は、来し方を一々思い出してみることにした。あんなことも、こんなこともあった。あれは良かったが、これは結局未解決のまま終わってしまった。大宇宙様たる私も、やはり、一箇の存在である。まだ活躍中の同僚の別の宇宙にも少し顔向けできないような気持ちになる。


未解決に終わってしまった思い出。後悔の念が湧き出る。今思えば、これはああすれば良かったんじゃないかな、と思ったりする。しかし、なぜ、こんなことになってしまったのだろう?とても気になるから、それにまつわる記憶を詳細に辿って見ることにした。


そこには色々の脈絡が複雑に絡み合っていることが見て取れる。なるほど、これが人間というものだった。感情というものが豊かだから、色々と厄介なことが多いのだ。困ったものだ。いやしかし、この私から見ればこれをこんな風にしてやれば、これは全く上手くいったはずだ。ぬう。


やはり「私」の宇宙での事なのだから、上手くいかなかったことがあるのは、悔しい。


色々思い出してみると、特に悔しい一連の出来事があった。なんだかその人の人生の記憶を一々辿ってみないと、気がすまない。なんでこうなったのか!それで、思い切って、宇宙は、その人の誕生から死まで、全ての記憶を見てみることにした。いや、記憶そのものの中に入り込むことにした。いや、その人の感覚、感情、思考、意志、あらゆるものを内面から感じてみようと思った。どうせ記憶なのだから、良からぬ記憶は、大宇宙様たるこの私の卓越した想像力によって、作り変えることができる。ゲームがてらこの記憶、ビジョンを楽しめば良い。そうだそうだ、大宇宙様たる私は、かつてテレビゲームなるものを発明させてやったのであった。ちょうどそんな具合にやってみれば面白そうではないか。


同僚の彼も、私が何だか面白そうなことをやり出すと聞いて、賛同してくれた。あまり過去を回顧して後悔してばかりいる私を見て少し心配していたのだが、これを聞いて彼も安心した。彼も知恵を貸してくれるらしい。いや、私のイメージゲームに入ってきてくれるらしい。どうも私の親友の設定で行くと言う。



私は、気が付いたら地球で、一人の赤ん坊として生まれていた。これからどんな人生が待っているか、そんなことなど当然わからない。まだ何も知らない赤ん坊なのだから。


大宇宙様は、人間の内側に入り込めば大宇宙としての記憶そのものを一旦忘れてしまうということ自体を忘れていた。同僚の彼も、同じことになっていた。


記憶に入ったつもりが、イメージゲームをするつもりが、これではただの人間ではないか!しかしそんな事情すら、私も同僚の彼ももはや思い出すことなどできない。二人はただ人間として、人生を送ることになるのだ。


そして成長して、多少物を覚え、色々の経験を積み、失敗したり、成功したり、「こんなはずじゃなかった」とか、「まさかこんなに素晴らしい人生になるとは」とか、日々色々のことを思いながら、ある時こんなつまらない文章を書いたりしてみるのだ。