素人哲学研究

哲学ノートや内省の記や雑感などをさらしていこうと思います。西田幾多郎が好きです。

創造的実体の形

創造的実体はどんな形をしているか。いや全ての形が創造的実体なのである。どんな形でもそうである。形の中には全ての形が含まれている。しかもそれは外を持つ。常に外に接しているものである。だから無限に広いとともに、無限に狭いものも考えられねばなら…

耳鳴りと創造的実体

耳鳴りと言えば、ある時に鳴り、別の時には鳴らないものと考えられる。当たり前である。いつも鳴っているならば、いわゆる耳鳴りなどというものはない。そういう言葉も生まれない。しかしいわゆる耳鳴りではなくても、常に我々の耳には、あの何とも言えない…

好きということ、嫌いということ

好きと言えば、なければならないもの、嫌いと言えば、なくても良いもの、いやない方が良いもの、と考えられる。私はこれは違うと思う。好きというのは、なくても良いもののことである。実際にそうであろう。本当に好きならば、それに対する熱意などというの…

塵、語る。塵を語るではない、塵が語るである。

塵、語る。お前は一方的に見ていると思っているかもしれないが、見られているのだ。私は塵である。お前が偉そうに創造的実体などと言ったのは、まことにその通りである。その考えはこの私が吹き込んだ。人間というのは、あまりに自分たちが偉いと考え過ぎる…

創造的実体とパラレルワールドについてのメモ

いずれもっと詳論するかわからないが、私は西田哲学的な意味での実在を、「創造的実体」と言って良いのではないかと思う。今この創造的実体とパラレルワールドというものについてのメモを少しここに記しておきたいと思うのである。無論実在の根底にはいかな…

使命という言葉の魔力

これは、一つ前の記事、自己顕示欲といわゆる「スピリチュアル」との関係の話の続きである。スピリチュアルなどにおいては、しばしば、「使命」などという概念を吹き込むことによって、自己顕示欲を肥大化させ、それでこれに引っかかった人達を自分達の派閥…

自己顕示欲がなぜ出てくるか。社会的な観点から。いわゆるスピリチュアルと、スピリチュアリズムとに関して

スピリチュアルというものの様子を眺めていると、人間の恐るべき自己顕示欲の有り様がなんだかよく見えて来るように思われる。誰だって自己顕示欲というものはある。私も一応こういう形で、読む者皆無に等しい文章ではあるが、公開してしまっている、人に見…

いわゆるスピリチュアルというものについて

http://shinjakamo.seesaa.net/article/455957484.htmlこのページにあるようなものが実態ならば、なるほどいわゆるスピリチュアルの業界は色々と問題があるものと言わねばならない。スピリチュアルというのは意見発信の一形態と見ることもできるであろう。本…

私の文章について

私は一応文章を公開してしまっているが、実際のところこれはそんなに大っぴらにするような性質の文章でもない。まずこれは自分自身のための文章であって、ただ一応公開ということにしておくことによって、人様に読ませるという意識を保った上で文章を書くこ…

おにぎりを作っていて思ったこと。円について

この夜、おにぎりを作ることになった。まともに作ったことがないからこれでも大分神経を使う作業である。正式な作り方というものを知らないから、見知っている完成像と、朧げな記憶と、お「握り」の言葉から作り方を推測して作ったのだが、作っている時に気…

気分とは何であるか

気分とは何であるか、一言で定義できるものではない。しかし私が注目したいのは、哲学における気分の扱いである。哲学において、普通認識と言ったときに、気分というものは単に付属的なものとしてしか理解されないであろうと思う。デカルトの『情念論』など…

見るもの聞くもの触るもの全て鬱陶しいことについて

今日は何だか精神の調子が非常に悪い。だから見るもの聞くもの触るもの、ことごとく鬱陶しく感じられる。世界が不思議なほど暗く感じられる。世界は同じ世界であるはずなのに。こういうことから考えると、やはり我々が対象として見るものは、全てそこにおい…

現れるものは全て元々計画されていたものではないかという話

我々の現在とは、とにかくあらゆる事柄の「最後」と考えられる。現在こそがどんな物事であっても、その最終局面において見られる場所である。途中と考えられるものであっても、その終局が単に未来に見られるというわけではない。そもそも未来というのは、パ…

過去とか未来といったものについて考えるヒント。「過去」を手掛かりに

過去というのは、文字通り過去であって、すでに過ぎ去った諸々の事実の集まりと考えられる。しかし単なる部分部分バラバラのものの集まりが、一つの「過去」として、この現在にとって何か積極的な意義を持つことはできない。AとかBとかいった事実が、過去の…

「全体が全体であるためには」補足

前に、形が一つの全体として成り立つためには、実在の根底に結び付かねばならないと言った。つまりある一つのものの「輪郭」が定まるには、それが最終的な根源的な場所そのものに結び付かねばならない。概念的に幾ら形というものを規定しようとしたとしても…

全体が全体であるためには

あるものがある一つの全体であるためには、そして真に全体であるためには、それは実在そのものの根底に結びつかねばならない。例えばここに一つの形がある。この形の輪郭が定まるのは、その形が於いて在る場所そのものと、存在のレベルではっきりと結ばれた…

慢心と日本(日本文化の独特の位置)

慢心はどこの誰にも付き物である、いや憑き物である。自分ではなかなか気づかないから慢心なのだ。慢心は霊的欲求を装った肉体的欲求から生まれて来るものと言えよう。高尚なスローガンを掲げていても、また綺麗な理屈でそれが正当化されていても、その実は…

絶えざる進歩の過程にあっても付きまとう不安

私は普段から自己自身の向上進歩というものをはっきり意識して生きるように努めている。私には怠惰の傾向、不精の傾向があるのであるが、同時に自己自身の得意なことに関しては、殆ど無限に探求し続けることができる、と自分では思っている。私にとって、学…

哲学の態度

私は哲学が好きであり、一生勉強し、考え続けたいと思ってるいるが、また哲学という枠に囚われたくもないと思う。私はいわゆる哲学者になりたくない。ただ哲学的実践をどこまでも続けて行きたいと思う。これに哲学という名が与えられなくても良い。要するに…

信仰とは何であるか(スピリチュアリズムなるものに関連して)

信仰は命がけのものであって、それも命がけと言ったときの、あの青春ドラマ式の「甘ったるい」ものを念頭に置いて言っているのではなく、文字通りの「命賭け」なのであって、人間の生命そのものの根源的な灯火であると思う。我々はこれを死守せねばならぬの…

後ろを向いて後ろに進む

後ろを向いて、後ろに進んでも、前進はできるのだ。哲学など理屈ばっかりで、後ろ向いて、同じ所に止まってばかりいるようなものに思われやすい。しかし哲学書を読んでいてもそんな感じはしない。やはり確実に「前進」しているのだ。要するに彼らは後ろ向き…

未来について(時間論)

一動物には未来というものがない。人間には未来がある。未来という概念がある積極的なものとして考えられる。実際の事実として未来というものはない、未来というものを見ることはできない、またそれは現実に起こった過去の事実として見ることもできない。し…

宇宙が宇宙の記憶を辿るとき

ある時宇宙は、終わりの時を迎えた。寿命が来たらしい。生まれ、育ち、働きまくり、老い、そして今、最期のときなのである。宇宙は、その大いなる創まりから大いなる終わりの時まで、万物の生成化育を司り、とてもとても大きな仕事を成し遂げた。思い出せば…

ブロッコリーと物理学的原子

晩飯に出てきたブロッコリーを見て気づいたことがある。ブロッコリーがどういう形になっているか、よく見てみると良い。これは木などもそうなっているのだが、まず太い幹的な部分があって、そこから枝的なものが順々に分かれて行って、木で言えば葉っぱのよ…

自分自身に教えられる

こうやって、何か文章を書くことによって、自分自身に教えられるということがある。だから、自分の書いたものを、よく読み直す。必死に考え、必死に書いたものほどそうである。無論私個人のつまらない人間的意識が色々に混入していることが多いであろうが、…

真の善が悪であると誤って思わされてしまう、そのロジックについて

部屋の中に居て、ふと手の匂いを嗅ぐ。すると猫の糞の臭いがする。さっき手を洗ったばかりなのに!こはいかに。実は猫の糞の臭いは、さっき猫が猫のトイレにウンコをしたから、その臭いが臭ってきたというだけである。ただ今までは部屋全体の臭いを気にして…

円に関するちょっとしたメモ。中心と円周との関係について

この前の記事で、一般者ということを論じるのに、円周とか直線的とかそういうことを持ち出した。直線的なものが円環的なものである、ということそれ自体は事実であるが、論じているうちに、なんだか自分でもよくわからなくなってきた。もう少し考えてみたい…

世界に感謝

精神が狂えば、感謝もできなくなる。私はなんだが、今のうちに、私を生かしてくれた世界そのものに感謝したい気持ちになった。ありがたい。無論これは遺書ではない。が、この頃、精神をおかしくして、こういうことに思い至り易くなっている。正気が残ってい…

実家の猫を見て。「口」の世界と、宗教性について

❇︎「口」の領域「わたしにむかって『主よ、主よ』と言う者が、みな天国にはいるのではなく、ただ、天にいますわが父の御旨を行う者だけが、はいるのである。」‭‭マタイによる福音書‬ ‭7:21‬ ‭JA1955‬‬http://bible.com/81/mat.7.21.ja1955イエスはこう言った…

異質性と同一性について

以下は結局矛盾的自己同一なる論理がいかなるものか、ということを論じてみたものであるが、今度は異質性と同一性という切り口から考えてみた。私は矛盾的自己同一に魅入られてしまった。ーーーー異質ということは色々に考えられる。人間と動物とは異質であ…